入れ墨で“強い意志”を表す。タトゥーは“決意のファッション”でもあった。

牧太郎の大きな声では言えないが…:入れ墨とオリンピック

毎日新聞 2012年08月14日 東京夕刊より転載

実家のある東京都台東区「柳橋」かいわいは江戸末期から昭和30年代まで、日本で一、二を争う花柳界だった。

初代総理大臣の伊藤博文は40度の高熱に浮かされていても、傍らに芸者を2人、はべらせて……といった艶話が残っている。

伊藤は料亭「亀清楼(かめせいろう)」に泊まった翌日は、僕の実家の隣にあった「松の湯」で朝風呂。おもむろに飲み始める。4回も総理大臣を務めた「傑物」は、とことん“芸者遊び”が好きだった(笑い)。

「松の湯」は、湯船が円でも、四角でもない。珍しい六角風呂。これも、メチャクチャ熱い湯を我慢しながら「新聞に出ない政界裏話」を楽しむ。「松の湯」は花街の情報センターだった。

母は「裸になれば、武士も町人もないんだよ」と教えてくれた。刀もなければ、カネもない。湯船に入れば五分五分だ。

それでも、小学生の僕には、背中一面の竜の入れ墨の「とびの頭」は特別“強そうな存在”だった。

この辺り、江戸の昔から、博徒・火消し・とび・飛脚など肌を露出する職業では、入れ墨をしていないと「恥」とされた。

だから、昭和30年代でも、調理師、箱屋(芸者さんをサポートして三味線の箱を運ぶ人)の中にも、入れ墨を入れている人がいた。

しかし、頭の“ガマン(入れ墨)”は存在感が違う。痛ければ痛いほど、我慢すればするほど“ガマン”は尊敬される。地域のリーダーという強い意志があった。

今を時めく、橋下徹大阪市長さまの「入れ墨追放令」に逆らうつもりはないが……入れ墨は「威圧」だけではない。入れ墨で「粋」を見せる。僕の街では独特な美学だった。

ロンドンオリンピックの競泳で、タトゥーを入れた選手を何人も見た。腕や脇腹、太もも、背中……。五輪史上最多の金メダル、マイケル・フェルプス(米国)は腰の下に小さな「五輪」を入れていた。

入れ墨で“強い意志”を表す。

タトゥーは“決意のファッション”でもあった。

江戸幕府は橋下さんと同様、度々「禁止令」を出したが、逆に、入れ墨は武士階級にまで広がり、旗本の次男坊、三男坊は“ガマン”を入れた。

敵を作って、人気をあおる。ケンカ上手な橋下さんの格好な標的になってしまったが……入れ墨は、万国共通の文化である。(専門編集委員)