日本文化を知らない日本人が増えました。
「刺青」(入れ墨)といえば、任侠をすぐに結びつけるイメージを持つ人が多くなってしまいました。
しかし刺青はもともと任侠の専売特許ではなく、夏場に肌をさらす職業の人々、水に関連のある商売の人々、職人達、役者がファッションで入れていたものだったのです。今で言えば、夏場の「日サロ」と海での日焼け、みたいなものですね。
『大工彫り』
こちらは江戸時代の大工の刺青を描いた浮世絵です。当時の人気浮世絵師、豊国が描いたものです。
この絵でわかるように、当時の江戸の庶民は蒸し暑くなる夏場になると、和服の端を帯に挟んで丈を短くハーフパンツ状態にし、袖を外してタンクトップ状態にして、やり過ごしていました。
この状態では手足や上半身、背中が露出するため、それを「粋」に見せるファッション手段として刺青が用いられたのです。決して任侠の印ではないのです。
大工さんは報酬が良かったためでしょうか?着物は絞り染の高級品です。おそらく一般の農民、庶民から見れば高嶺の花の着物だったのでしょう。
柄は「蝶」がメインです。ただし普通の蝶文様ではなく、金輪結び文様(3つの楕円が交差しているデザイン:金属製のリングを形象化したもの)と蝶が融合されたオリジナルなデザインです。現代の文様デザイナーが見ても凝っているのがわかります。
絞り染めで白抜きになった部分には、七宝紋(4つの花びらのような文様)が施されています。
実は当時の浮世絵は現代の「ファッション雑誌のグラビア」の役割を果たしていたそうなのです。
こういった浮世絵を見て、庶民は無理をして呉服店に高級な絞り染めの着物を求め、刺青を入れて街をそぞろ歩いたのです。
歌舞伎役者らしく着物の柄も個性的です。ひらがなの「ち」と描かれた文様の着物です。ひらがなが描かれた着物は「役者文様」と言いまして、自分の名前の中から文字を取り出して着物に描くことが流行っていたようです。この役者さんは「いちかわ」さんなので、「ち」なんですね。
こちらの浮世絵は「浦和の魚屋 國七」です。当時の魚屋や漁師も水に関係のある「水商売」と考えられており、刺青を入れることが流行っていたのだそうです。
こちらは歌舞伎役者の市川九蔵の浮世絵です。袖口にチラ見せで刺青が見えますね。当時流行のキセルを持って、着物の柄も現代でいえば花をトライバル化したデザインと縁起の良いひょうたん柄を組み合わせたものです。役者さんなので、個性的でオシャレですよね。
江戸時代には、このように和服と組み合わされたポピュラーなストリートファッションであった刺青ですが、明治時代に大日本帝國として軍事政権化してゆく過程において刺青禁止法が施行されたため、彫り師がアンダーグラウンドになって任侠の専売特許になってゆきます。
しかし、もともとは現代の”日焼け”のように、庶民の夏場のファッションアイテムだったのです。
欧米人の方が日本刺青の価値を知っている現状は、日本人として本当に情けない気持ちでおります。
どうか偏見を捨てて、正しい日本文化を知ってください。
そして正しい、日本伝統刺青の芸術的、文化的価値を知ってください。
※当店の彫り師は和服の着付けも可能です。ご興味のある方はぜひご相談くださいませ。







