ウチのスタジオにはアマチュアのサッカー選手とプロのサッカー選手が両方やってくる。アマチュア選手からすると、プロ選手は「重戦車」に見えるそうだ。これがプロとアマチュアの差だ。ミュージシャンも同じで、純然たるプロの正確さは「サイボーグ」にさえ見える。
つまり何事も人間技を超えていないと、プロのレベルではないということなのだろう。
人間を超えるといえば、江戸時代の歌舞伎俳優や専門的な職人たちは、「通常の人間」とは違う存在で有るとみなされていた。彼らは痛みを乗り越えながら、こぞって刺青を入れ、常に人間以上の存在になるための努力をおこない続けた。
それが刺青の入った人間が「粋」であるという、江戸っ子の価値観を生んだ原動力である。ウチのスタジオに来られるサッカー選手たちもおそらく、『人間を超えた、ある種の”人智を超えた存在”に近づくために』、痛みを乗り越え、自らの外見を変化させるタトゥーを入れるのであろうと思う。
ソーシャルメディアでフォローする 強大な自然圧と戦いながら家族を守り、子孫を後世に伝えた多くの先住民たちがタトゥーを入れていたのも、きっと同じ理由で、彼らは生き抜くために、自らの中に人智を超えた”人智を超えた存在”(「神」)を宿らせる必要があったからなのだろうと思う。
そして、それを実行し、身体をタトゥーで飾りつけた人間が適者生存の世界で生き残ることが出来たからこそ、ミイラなどの歴史的考証物で確認されているだけの期間としても、数千年もの間に渡ってタトゥーの伝統は、どんな抑圧があっても生き続けたのである。
だから明日が安泰であることを約束された人々にタトゥーは必要ないのかもね^^
(厳密な意味では、誰でも明日死ぬ可能性があるわけで、本当に明日が約束された人間は、この世に一人もいないけど〜〜^^)

